川島織物セルコンー受け継がれるモノづくりの心と匠の技

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川島織物セルコンー受け継がれるモノづくりの心と匠の技

更新:2016年3月25日

1889年に開場した歌舞伎の聖地、銀座・歌舞伎座の建て替えが完了し、2013年、新しく生まれ変わりました。オープニングには、何千という人々が集まり大きな注目を浴びましたが、生まれ変わったのは外装だけではなく、建て替えに伴い、舞台を飾る新たな緞帳もお披露目されました。この緞帳には、LIXILグループの一員である川島織物セルコンが製作を担当したものが含まれており、絵画を織物に表現する卓越した技術が生かされています。

世界の高級織物をけん引する川島織物セルコンは、日本で室内装飾織物を早くから手がけたパイオニアであり、その匠の技は創業以来170年以上にもわたり受け継がれてきました。2011年にLIXILグループの一員となった同社は、舞台幕や帯などに加え、インテリア・室内装飾も手がけています。

2010年に、川島織物セルコンの前社長が、当時トステム株式会社(現 株式会社LIXIL) 取締役社長であった潮田洋一郎と会談を行った際は、川島織物セルコン単独では事業拡大が難しいと考え提携先を模索していました。潮田はこの国宝級ともいえる日本の伝統技術を守るとともに、同社の専門技術はLIXILに欠けているインテリアファブリック事業を補完できると考え、2010年に少数株主として出資、その翌年に完全子会社化を行いました。LIXILグループに参画したことによって、川島織物セルコンは追加投資や経営支援を受け、市場の拡大を図ることができ、事業のさらなる活性化を実現したのです。

2011年、米国のデザイン会社、ペンタグラムのパートナーであるアボット・ミラー氏が、滋賀県にあるMIHO美学院の約11.3メートルの舞台幕のデザインを依頼された際、製作は川島織物セルコンが担当していました。ミラー氏は、京都市郊外にある同社の工場を訪ねたところ、織物の長さほどの織機で、10人以上の職人が様々な朱色の糸を多数使って丁寧に織り上げていく様子を目の当たりにしました。同氏は完成した幕を見て、自分がデザインを担当した中で、最も愛情をこめ、贅沢に作られたものであり、「川島の素晴らしい技術は、デザインをさらなる高みへと昇華させた」と賛辞を贈りました。

川島織物セルコンの歴史を遡ると、創業者である川島甚兵衞が1843年に京都で呉服商を始めた時代から、その職人技が受け継がれています。息子である二代川島甚兵衞が家業を継ぎ、伝統的な日本の織物技術を用いて、手仕事による独自の美を体現した織物を作り出しました。さらに甚兵衞は、ヨーロッパに渡り、今日ではフランス文化省が運営する王室御用達のゴブラン織工場などを訪問したことで、新たな技術を獲得していったのです。

三代川島甚兵衞が明治宮殿の壁掛の製作を依頼された1921年には、その名声は確固たるものとなっていました。三代甚兵衞の死後は、妻、絹子がこのプロジェクトを引き継ぎましたが、壁掛が3分の1ほど完成したころ、織物に退色の兆しが見られるようになりました。製作作業をこのまま続けようとしたところ、絹子はこの品質ではお納めすることはできないと、夜中に工場に入り、経(たて)糸を切断してしまったという逸話が残っています。この逸話は、「断機の訓え」として今日まで語り継がれ、残った織物は貴重な宝として、そして妥協を許さない川島のモノづくりの精神の象徴として大切に保管されています。    

近年、川島の職人技は様々なプロジェクトに生かされています。1994年から2004年にかけて、奈良の正倉院に保存されているおよそ1,300年前の正倉院裂の復元模造に携わりました。川島織物セルコンのチームは、当時の材料の調査や試し織り、文様を再現するための手織り機など機械の調整などを行い、無事にお納めすることができました。

また、川島織物セルコンは伝統技術に限らず、新たなフィールドへと事業拡大を図っています。2014年には、ドーハのハマド国際空港のプロジェクトにグループ会社であるペルマスティリーザと共同で参画し、高級感あふれる空港ラウンジの天井から吊るされた白く流れるようなカーテンの壁を手がけました。

川島織物セルコンの代表取締役社長である山口進は、「当社の歴史は、常に先進技術を取り入れてきたことにあり、私たちは常に新しい挑戦を続けいかなくてはなりません。それこそが、川島織物が100年以上続いてきた秘訣なのです」と語っています。

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